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帰去来

山門(やまと)は我(わ)が産土(うぶすな)、
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度(いまひとたび)。

筑紫よ、かく呼ばへば 戀(こ)ほしよ潮の落差、
火照沁む夕日の潟。

盲(し)ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、
籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度(いまひとたび)。
故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。

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大意

山門柳河は私を生んだ大地だ。南風(はえ)に吹かれて雲がひるがえる、 美しい場所(まほろば)だ。ああ鳥となってもう一度飛んで帰りたい。

筑紫よ、この名前を呼べば恋しく思い出される。干満の差の激しいその海が夕陽に赤く染まる海の景色が

今や私の視力は衰え見えなくなってしまった。たとえ故郷に帰っても 葦の群生や籠飼(魚などを捕るためのカゴ)、水かげろうといった懐かしい風物を 見ることはできないのだ。

それでも帰りたい。カササギの舞い櫨(はじ)の木が群生する懐かしい故郷柳川に。きっと私を待っているだろう。

故郷も当時遊んだ友達も年老いて遠ざかってしまった。
それなのに子供のようにこんなにも心引かれるのはどういうわけだろう。

解説

昭和3年、白秋は飛行機で故郷柳川を訪れます。

大阪朝日新聞社の「天を翔る」という企画でした。三人の文士が飛行機(ドルニエ・メルクール機)に乗り込み故郷の上空から紀行文を書くというものでした。

実に二十年ぶりの帰省でした。白秋は二十歳の時、父親に黙って上京して以来、柳川の地を踏んでいなかったのです。

だから白秋は、「冷遇されるんじゃないか」と心配していました。

ところが意に反しての大歓迎。母校の矢留小学校では「ヤ」の人文字を書いて白秋を迎えます。 子供たちが歌う「待ちぼうけ」を聴いて、白秋は涙ぐんだということです。

「帰去来」は、この昭和3年の郷土飛行を思い浮かべて昭和16年、最後の帰省の際につくられました。死の前年です。

晩年の白秋はほとんど視力を失っていました。

連日の徹夜作業の無理がたたってか腎臓病と肝臓病がもとで眼底出血し、昭和12年11月には東京駿河台の杏雲病院(きょううんびょういん)に入院しました。

そんな中でも創作活動は多忙をきわめ、医師に注意されてようやく中止するという感じでした。

古めかしい言葉ですが、何度か読むうちに身をかきむしられるような 激しい望郷の思いが伝わってきます。

白秋の母校、福岡県柳川の矢留小学校横の白秋碑苑にはこの「帰去来」の碑があります。建立昭和23年。文字は白秋と親しかった恩地孝四郎によるものです。

白秋にゆかり深いからたち(『からたちの花』)に囲まれて立っています。北原白秋資料館もすぐ傍です。

毎年11月2日の命日にはこの帰去来の碑の前で白秋祭が行われます。

「帰去来」といえば陶淵明の漢詩『帰去来辞』も有名です。

歸去來兮(かへりなん いざ)
田園 將に蕪れなんとす (でんえんまさにあれなんとす)
胡ぞ歸らざる(なんぞかえらざる)

…の書き出しは広く知られてます。陶淵明42歳の時の作です。役人生活に うんざりして、もういいや田舎に引きこもろう。田舎はいいなあという話です。