たはれをのかずのまにまに
じだらくにみをもちくづし、
おしろいのあをきひたひに
ねそべりてひるもさけのみ、
さめざめとときになみだし、
ゆうかけてさやぎいづとも、
かなしみはいよよおろかに、ながねがひいよよつめたし。
あはれよのしろきねどこの
まくらべのベゴニヤのはな。
遊女のその日暮らしの乱れた生活の悲しさ哀れさを歌った詩です。
(大意)
その場限りの付き合いで男たちと交わっている間に
自堕落に身を持ち崩してしまった。
白粉を塗った額は青ざめ、昼間から寝そべって酒を呑み、
時々はさめざめと涙する。
夕暮れになると騒ぎはじめるが悲しみはいっそう酷くなり
その願いはいよいよ冷たく(?)
悲しい夜(世)の白い寝床の枕元にベゴニアの花が咲いている
…
最後に「ベゴニアの花」が登場するのは、「そんな悲惨な毎日の中にも
かすかな希望の光が」という象徴でしょうか。
同種の表現として思い出すのは、萩原朔太郎「夜汽車」のラストです。人妻と
不倫をして夜汽車で駆け落ちしている。あー、これからどうなるんだろう。
サッパリ先が見えない…という暗い重い内容の詩ですが、しめくくりが
「しののめちかき汽車の窓より外(そと)をながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花。」
この「をだまきの花」が北原白秋の「ベゴニアの花」に通じるものと思います。
また、遊女ネタということで松雄芭蕉「奥の細道」の中に見える
市振の関のくだりを思い出しました。芭蕉が北陸の市振の関で
たまたま同宿の遊女からその哀れな話を聞くという内容で、完全な創作らしいですが
いい雰囲気を出しています。
そこで芭蕉は「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句を得ています。