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この道

この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ、
あかしやの花が咲いてる。
 
あの丘はいつか見た丘、
 ああ、さうだよ。
ほら、白い時計臺だよ。
 
この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ。
お母さまと馬車で行つたよ。
 
あの雲もいつか見た雲、
 ああ、さうだよ。
山査子の枝も垂れてる。

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解説

北原白秋は大正14年(1925)夏、鉄道省主催の「樺太観光団」に加わり、その帰りに 歌人の吉植庄亮と約半年間、北海道を旅行します。その時の印象をもとに作った詩です。

「あかしやの花」「白い時計台(札幌時計台)」「お母さまと馬車で」「山査子」など、 北海道情緒溢れます。

1926年(大正15)年「赤い鳥」に掲載。童謡集「月と胡桃」に収録。1927年山田耕筰によって曲がつけられました。「待ちぼうけ」「ペチカ」などと 共に今日に至るまで多くの人々に親しまれています。

第四連の初行は「赤い鳥」初出では「あの雲もいつか見た雲」でしたが、後に「月と胡桃」では 「あの雲は」に変わっています。

白秋が「この道は」「あの丘は」「この道は」と「は」終わりに 合わせたためです。

しかし楽譜には初版が使われているため「あの雲も」と歌われることが多いようです。

また第三連の終行は初出では「母さんと馬車で行ったよ」だったのが 山田耕筰作曲後の「白秋童謡読本」では「お母さまと馬車で行ったよ」 に変わっています。「お母さま」のほうが西洋的でハイカラな詩の雰囲気にあってるということでしょうか。

北原白秋は「踏襲問題」(「緑の触覚」収録)という文章の中で、 幼児の記憶に発表前年の北海道旅行の風景を織り交ぜた。五・七の 二行に「ああ、さうだよ」を挿入した。私の新定律だ、という意味のことを書いています。

曲は昭和2年(1927)2月24日完成。「童謡百曲集 第三集」(日本交響楽協会出版)に収められました。

作曲の山田耕筰は「からたちの花」と同じく一音符一音主義で曲をつけたので言葉の響きそのままの自然なメロディーになっています。

昭和3年、電気吹き込みシステムを完成させた日本コロンビアからレコードが発売されます。 山田耕筰自身のピアノ伴奏とテノール歌手の藤原義江による収録でした。

「アカシヤ(アカシア)」はマメ科の落葉高木。正しくは「ニセアカシア」「ハリエンジュ」。アメリカ原産。 北海道では明治10年ごろから輸入され街路樹として使われ始めました。

「白い時計台」は札幌農学校(現北海道大学)の演武場。いわゆる 札幌の時計台です。「この道」が書かれた頃は札幌市の施設として 使われていました。「ボーイズビーアンビシャス」のクラーク博士で有名ですね。

「山査子」は「山櫨子」とも書き、中国産のバラ科の落葉潅木。春に白い花をつけます。

「北海道風景です。主人公は男の子です」(『白秋童謡読本 六』)。

埼玉県久喜青葉団地内の小学校通学路に「この道」の碑があります。 久喜といえばアニメ「らき☆すた」の舞台として近年話題になりました。

「らき☆すた」の聖地鷲宮神社を巡礼後、北原白秋の碑を見てしみじみするのも なかなか良いツアーです。

「道」を「人生」の象徴ととらえると、高村光太郎『道程』にも通じる ものがあります。

また「この道」で思い出すのは松尾芭蕉の

この道やゆく人なしに秋の暮れ

です。元禄7年芭蕉が亡くなる1カ月前の作で、事実上の辞世の句といっていいでしょう。
「この道」は芭蕉が歩んできた俳諧の道でしょうか。