カステラの縁の渋さよな。
褐色(かばいろ)の渋さよな。
粉のこぼれが眼について、
ほろほろとが泣かるる。
ほんに、何とせう、
赤い夕日に、うしろ向いて
ひとり植ゑた石竹。
北原白秋がカステラ大好きだったことは色々な文章で知ってましたが、
この詩はサッパリ理解できませんでした。
中盤の「ほんに、何とせう、」を「ああ、どうしよう」と解釈していたからです。
そう考えると詩のつながりがグチャグチャになります。
この短い詩のためにだいぶ苦労しました。北原白秋の難解な
詩を解説した本もサイトもほとんど無いのに驚きました。
そしてある朝突然「ほんに、何とせう」=「まあ例えるならば」の解釈に思い至ったのです。
お!つながる!わかるわかると。もうバシバシ手を叩いて喜びましたな。なんか
推理小説で犯人を当てたような爽快感。
正しい解釈かどうかはわからないですが(なにしろ
解説が見つからない)、多分こんな意味じゃないかなぁ。
↓
カステラの縁の渋さよな。
褐色(かばいろ)の渋さよな。
この「渋い」はカステラの色彩や手触りから来るイメージでしょう。
粉のこぼれが眼について、
ほろほろとが泣かるる。
カステラを見てるとほろほろと崩れて
眼に入りそうな感じがあります。「視界に入る」という意味と「眼球に
付着する」という意味を懸けてるのでしょう。
ほんに、何とせう、
「まあ、(…そのようなカステラを)例えるならば」?
赤い夕日に、うしろ向いて
ひとり植ゑた石竹。
こりゃ子供の頃の記憶ですな。石竹の花に夕陽がじわっとさして、
眼に突き刺さるみたいだったのでしょう。それが、カステラが眼にしみる感じに
似てると。
石竹は、ナデシコ科の花です。色はいろいろですが、ここでは
じわっと夕陽ににじんでるイメージですから、オレンジっぽく思います。
ただし、北原白秋には『石竹の思い出』という詩があり、石竹が
「性的な目覚め」の象徴として使われています。そっちの意味かも知れません。
しかし詩の解釈は他の詩や説明でどういわれているかでなく
その詩単体の中で完結すべきと思うので、ここでは石竹の色彩だけを
取るのがいいと思います。