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城ヶ島の雨

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ

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解説

大正2年、芸術座音楽会のため舟唄として作詞、梁田貞(やなだただし)の作曲で同年10月30日発表。白秋の作詞にはじめて作曲された作品です。

「利休鼠」は緑がかった灰色。実際に千利休がこの色を好んだ ということでなく、利休が説いたワビサビの精神を想像させるとか、 緑がお茶を連想させるとか、色々説があるようです。

「通り矢」は本土側の城ヶ島と向かい合った場所の地名です。 頼朝がここで通し矢をしたことが由来ともいいます。 「はな」は、「鼻の先」、すぐそばを…の意。

この「通り矢」、現在ではバスの終点になっています。 近くの案内板には「通り矢」の名前の由来と白秋の和歌をしるしてあります。

「通り矢と城ヶ島辺に降る雨の間の入海舟わかれゆく」
「しみじみと海に雨ふり零の雨利休ねずみとなりにけるかな」

この作品を創った頃の白秋は、大変な苦難の中にいました。

明治45年、白秋は隣の家で虐待されていた人妻松下俊子への同情から恋愛関係になり、夫から姦通罪で訴えられ、市谷の未決監に身柄を拘束されます。

上田敏により『思ひ出』を絶賛され一躍文壇の寵児となった白秋でしたが、この事件により世間の厳しい非難を浴び名声はガタ落ちとなりました。

弟の鉄雄がいろいろと手をまわしてようやく釈放になりますが、白秋はトコトン落ち込み、フラッと木更津に行って自殺を考えたりしました。

また、実家の破産ということがありました。海産物問屋として栄えていた実家が火事がもとで倒産し、家族が白秋を頼って上京してきていましたのです。これも大変なことでした。

まあ、結局松下俊子は元の夫と別れて白秋と結婚するのですが、それで三浦三崎で二人の新生活が始まり、その家のすぐそばに城ヶ島があり、毎日見ていたということです。

そういう背景を踏まえて「城ヶ島の雨」を味わってみると、白秋自身の心の遍歴、みたいなものが感じらるのです。

失意からの復活というか、魂の再生というか、どんより暗い雰囲気で始まって、じょじょに光がさしてきて、船頭さんの歌で癒されて、ようやく希望が見えるという…(朗読もそのへんを気をつけました)

もう一度詩人としてやり直したい、という白秋の強い願いが込められてる気がします。

城ヶ島は三浦半島の南端。本土から城ヶ島大橋(有料)がかかっています。

城ヶ島遊ヶ崎には北原白秋の石碑が立っています。高さ3メートルの大きな碑です。昭和16年には企画されており白秋文学碑の第一号となるはずでしたが、戦時中城ヶ島が要塞地帯に指定されていたため文学碑どころではありませんでした。

碑文は白秋自筆による書き出し部分です。