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からたちの花

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

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解説

北原白秋の母校福岡県柳川の矢留尋常小学校(やどみじんじょうしょうがっこう)の通学路「鬼童小路」(おんどこうじ)には、からたちが畑の垣根として植え並べてありました。その原風景から生まれた詩です。

大正13年(1924)、雑誌「赤い鳥」7月号発表。 童謡集「子供の森」(1925年・アルス)収録。その後童謡集「月と胡桃」(1929・梓書房)に再録。

白秋は子供のころ「鬼童小路」で見たからたちの生垣に格別の思い入れがあり、白秋の生涯を通じてつきまとう重要なイメージとなりました。

小田原の水之尾でもからたちの花に感激しています。

昭和16(1941)死の前年に一家四人で柳川に帰郷した時もからたちの美しさに心惹かれ生垣のある道を軽やかに歩いたということです(「白秋全集月報」)。

昭和17年(1942)白秋の開催する多摩短歌会の大会が柳川で開かれたとき、東京で死の床に伏していた白秋から「鬼童小路を通れ」と電報が届いたといいます。

山田耕筰が大正14年(1925)作曲し雑誌「女性」5月号に発表します。テノール歌手藤原義江の歌で大ヒットしました。

面白いことに白秋と同じく作曲者の山田耕筰もからたちの花には強い思い入れがありました。

10歳で父を失った山田耕筰は田村直臣牧師が東京・巣鴨に経営する自営館という夜学校併設の印刷工場で働きはじめました。ひどい労働環境だったようです。空腹に耐えかねて からたちのすっぱい実をかじり、職工に蹴られて逃げ出しからたちの垣根の中でくやし涙を流したのです。

少年山田耕筰の心にしみこんだ、からたちの苦い思い出が「からたちの花」のメロディーとなって開花したのでしょう。

「からたちの、白い花、青い棘、そしてあのまろい金の実、それは 自営館生活における私のノスタルジアだ。そのノスタルジアが 白秋によって詩化され、あの歌となったのだ」(「自伝 若き日の狂詩曲」)。

詩人と作曲家それぞれがからたちの花に思い入れを持ち、ひとつの作品と なって結実したなんて、なんかスゴイですね。

上笙一郎はこの詩の叙情性を生んでいる終助詞の「よ」に注目しました。
「『からたちの花』は、『よ』という終助詞を、詩語にまで高めた最初の作品といってよい」(「童謡のふるさと』)。

「みんなみんなやさしかったよ」は誤ってからたちの垣根につっこんでしまいワーッと泣いたのを友達が痛かったね大丈夫?と気遣ってる感じでしょうか。とてもやさしい詩です。

福岡県西鉄柳川駅改修工事の一環として昭和55年、旧駅舎内に「からたちの花詩碑」が建てられました。

白壁を背景に「からたちの花」全文が刻まれ、前には池が、周囲には白秋の愛したからたちや柳、楠などが植えられています。

東京西多摩霊園の山田耕筰銅像横の常夜灯には「からたちの花」の詩と楽譜が刻まれています。巣鴨教会内にも碑があります。

からたちは「枸橘」「枳殻」「枳」などと書きミカン科の落葉低木。そのとげは実際触ってみるとわかりますが、ツンツンして太く、バラのとげなんかよりよっぽど痛いです。 泥棒よけとして生垣に使われます。