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一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
解説
北原白秋の詩でこの「落葉松」が一番有名ではないでしょうか。
大正十年十一月の「明星」に発表されました。当初は七章の詩で第四章が最後でしたが、「水墨集」に再録する際第八章が書き足されました。
北原白秋が信州星野温泉に講師として招かれ婦人と共に朝夕落葉松の林を散策する中で作られました。
星野温泉には落葉松の詩碑があります。自然石に「落葉松」の全文が活字体で刻まれ、最後の第八章は白秋の自筆が銅版に刻まれ、はめ込まれています。
碑の傍には落葉松の大木が一本デンと立ってます。雰囲気いっぱいです。
主題は第一章に要約されています。落葉松の寂しさ、その寂しさに共感し、自らの寂しさを重ね、自然と一体化する…とかいったことでしょう。
「落葉松」という言葉が17回も使われています。
繰り返しによって、ザァーとどこまでも続く落葉松の林を表現しています。
「からまつ」という言葉のリフレインが音楽的効果を生んでいます。
舞台は信州なのですが、むしろ具体的場所はどうでもよく、那須なり九重なり、ザーーッと
風の吹く高原とか、さわやかな林を歩く時は、ぜひ思い出したい詩です。
この「落葉松」について北原白秋自身の注に、
落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしくものあわれなる、
ただ心より心へと伝ふべし。
また知らん。その風はそのささやきは、またわが心のささやきなるを。
読者よ、これらは声に出して
歌うぺききわものにあらず。ただ韻(ひびき)を韻とし、匂いを匂いとせよ
…と語っています。
雑誌「詩と音楽」(大正十一年)には、
この七章は私からいえば、象徴風の実に幽かな自然と自分との心状を
歌ったつもりです。
これはこのまま香を香とし、気品を気品として
心から心へ伝うべきものです。
なぜかなら、それはからまつの細かな葉をわたる冷え冷えとした風の
そよぎ、さながらその自分の心の幽かなそよぎでありますから
と書いています。
つまり、朗読するのは邪道です。心の中でシミジミ
かみしめるのが良い、ということでしょうか。確かに頭の中で
暗誦しながら朝の軽井沢を歩いた時が、最もこの詩に近づけた
気がしました。
私は北原白秋といえばこの「落葉松」くらいしか知らなかったので、
こういうサワヤカな詩ばかりを作ってる人だと思ってました。
でも、この作風になったのは30代後半で、20代のは毒々しい極彩色の、
意味のつかみがたい、狂人の幻想のような詩が多いことを、後に知りました。
落葉松はマツ科カラマツ属の針葉樹。長野県や群馬県の高原に多く、針葉樹なのに落葉する珍しい樹です。針葉樹で落葉するのは日本では落葉松だけです。