北原白秋『おかる勘平』朗読mp3

おかるは泣いている。
長い薄明のなかでびろうど葵の顫えているように、
やわらかなふらんねるの手ざわりのように、
きんぽうげ色の草生から昼の光が消えかかるように、
ふわふわと飛んでゆくたんぽぽの穂のように。

泣いても泣いても涙は尽きぬ、
勘平さんが死んだ、勘平さんが死んだ、
わかい奇麗な勘兵さんが腹切った--

おかるはうらわかい男のにおいを忍んで泣く、
麹室に玉葱の咽せるような強い刺激だったと思う。
やわらかな肌ざわりが五月ごろの外光のようだった、
紅茶のように熱った男の息、
抱擁められた時、昼間の塩田が光り、
白い芹の花の神経が、鋭くなって真蒼に凋れた、
別れた日には男の白い手に烟硝のしめりが沁み込んでいた、
駕にのる前まで私はしみじみと新しい野菜を切っていた--

その勘平は死んだ。
おかるは温室のなかの孤児のように、
いろんな官能の記憶にそそのかされて、
楽しい自身の愉楽に耽っている。

(人形芝居の硝子越しに、あかい柑子の実が夕日にかがやき、
黄色く霞んだ市街の底から河蒸汽の笛がきこゆる。)

おかるは泣いている。
美しい身振の、身も世もないというような、
迫った三味に連れられて、
チョボの佐和利に乗って、
泣いて泣いて、溺れ死でもするように
おかるはないている。

(色と匂と音楽と。
勘平なんかどうでもいい。)


北原白秋の詩は比喩にひねりが多い上歴史や古典をベースにしていることがあり、一回で「あっ、なるほど!わかる」ってのは少ない気がします。

昔の人はそれでも知的ゲームとして楽しめたのでしょうが、人間の脳みそが弱くなってる現代では受け入れられにくいでしょう。

「おかる勘平」とは「仮名手本忠臣蔵」のおかる、勘平のことです。

1910年(明治43)「雑誌「屋上庭園」に発表されたこの「おかる勘平」は発禁処分を受け、「屋上庭園」が二号だけで廃刊になる理由となってしまいました。

当時の人には強すぎるエロさだったのでしょう。「白い芹の花の神経が、鋭くなって真蒼に凋れた」こことかほんと、エロいです。


主人公はおかるの人形芝居を見ているようです。すでに勘平は自害した後です。

(…)の中は、人形を見ている主人公(自分)の立場のようです。

最後になぜ「勘平なんかどうでもいい」なのか??おかるの人形の優美さ、今現在の演技が重要で、おかるが泣いている背景設定とかはどうでもいいんだよ、という話でしょうか?"why"より"how"だよ、的な。しかしどんでん返しを狙いすぎな気が。この一行はいらない気がします。

色々なサイトや書籍を調べましたが、この詩をちゃんと解説しているものは見つかりませんでした。

五感に訴える表現も見所です。

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