お屋根は萱で、壁は藁。
小窓のお眼々が右ひだり、
お鼻の入口、這入りゃんせ。
木兎、ぽうぽう、
内から、ぽうぽう。
春はとなりの桃の花。
うしろの竹薮、前の小竹(ささ)
緑のカーテンくぐりゃんせ。
木兎、ぽうぽう、
おじさま、ぽうぽう。
小矮鶏(こちゃぼ)もお椅子で啼いている。
鏡のふちにはてんと虫、
おもちゃの小雉子と遊びゃんせ。
木兎、ぽうぽう、
ごきげん、ぽうぽう。
赤い屋根裏、がらす窓、
海は紫、山は野火、
月夜に寝ながらのぞきゃんせ。
木兎、ぽうぽう、
みんなで、ぽうぽう。
メールマガジンの読者サービスとして無料公開するものです。後日メールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」をお送りさせていただきます。すべて無料です。不要な場合、いつでも配信停止できます。当無料ファイル送付とメルマガ配信以外にメールアドレスを使うことはありません。第三者に開示することはありません。
白秋は大正8年(1919)小田原・伝肇寺の境内に「木兎の家」という茅葺の家を建てます。先年の大正7年には鈴木三重吉の「赤い鳥」が創刊され、白秋はその童謡コーナーを担当することになり、ビンボウ脱出のきざしが見えてきた頃でした。
入り口が「鼻」で、その両側の小窓が「目」に見えたことから、「木兎の家」と名付けたのです。写真を見ると、まさにミミズクです。ホーウホーウと声が聞こえてきそうです。
百舌啼けば紺の腹掛新しきわかき大工も涙ながしぬ(「桐の花」より)
↑「木兎の家」を建てた大工の棟梁、込山氏に送った短歌。
翌年6月には木兎の家の隣に洋館を建てます。順風満帆という感じでしたが、その地鎮祭の夜、妻の章子が男と駆け落ちしてしまいます。
こんなノンビリ牧歌的な詩なのに、背景にはなんやかやとドラマチックな現象があったのです。それにしても結婚したり離婚したり家を建てたり日常のことが、死後何十年たっても残る、有名人は大変です。
「木兎の家」は関東大震災の時に潰れてしまいました。現在では跡地に「みみずく幼稚園」が建ってます。
白秋の小田原時代の代表作として「赤い鳥小鳥」があります。