水ヒアシンス
月しろか、いな、さにあらじ。
薄ら日か、いな、さにあらじ。
あはれ、その仄のにほひの
などもさはいまも身に沁む。さなり、そは薄き香のゆめ。
ほのかなる暮の汀を。
われはまた君が背に寝て、
なにうたひ、なにかかたりし。
そも知らね、なべてをさなく
忘られし日にはあれども、
われは知る、二人溺れて
ふと見し、水ヒアシンスの花。
解説
書き出しがカッコよくて大好きです。「月しろか、いな、さにあらじ/薄ら日か、いな、さにあらじ。」テンポがよく、ドラマチックです。いかにも何かが始まるて感じです。
ぼんやりした光だが、月の光だろうかそれとも日の光だろうか、いや違う。ああとにかくあの仄かな香りだけ残っている…と。
…どうやら乳母に背負われて暮れの水際を散歩していたようです。そこでなんかのハズミで川に落ちてしまったと。その時ふと見た水ヒアシンスの花が妙に印象に残った、と。
溺れるという大変な状況なのに、えらく詩的な記憶として残ったんですな。
こういうふうに子供の頃の記憶が前後の脈落なく、ポンと一場面切り抜いたように残っているというのは、結構あることじゃないでしょうか。
私個人でいえば子供のころファミコンのコントローラーのボタンがスナック菓子の油でべたべたとか、プラモデルの部品をニッパーで切らずにもぎ取ったためデッパリだらけのブザマな完成度とか。そういった記憶が、今も残ってます。
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朗読・解説:左大臣光永