骨牌の女王の手に持てる花

わかい女王(クイン)の手にもてる
黄なる小花ぞゆかしけれ。
なにか知らねど、蕊(しべ)赤きかの草花のかばいろは
阿留加里(アルカリ)をもて色変へし愁(うれひ)の華か、なぐさめか、
ゆめの光に咲きいでて消ゆるつかれか、なつかしや。

五月ついたち、大蒜(にんにく)の
黄なる花咲くころなれば、
忠臣蔵の着物きて紺の燕も翔(かけ)るなり、
銀の喇叭(ラッパ)に口あててオペラ役者も踊るなり。
されど昼餐(ひるげ)のあかるさに
老嬢(オールドミス)の身の薄くナイフ執るこそさみしけれ。

西の女王(クイン)の手にもてる
黄なる小花ぞゆかしけれ。
何時(いつ)も哀しくつつましく摘みて凝視(みつ)むるそのひとの
深き眼つきに消ゆる日か、過ぎしその日か、憐憫(あはれみ)か、
老嬢(オールドミス)の身の薄くひとりあるこそさみしけれ。

解説

花をもてあそぶ老嬢の姿からイメージを膨らませた詩です。 北原白秋の詩には「カルタ(トランプ)のクイーン」が多く登場します。 子供の頃見たトランプの絵に、白秋は物語めいた西洋風の不思議な情緒を感じ取ったのです。

第一連は、トランプのカードに描かれたクイーンの絵について 歌っています。その手に持った花のしみじみとした情緒。

第二連は現実の風景です。「忠臣蔵の着物きて」は燕の羽の模様を ユーモラスに例えたものです。牧歌的な五月の昼餉どき、しかし 老嬢がただ一人、指先でカルタをいじくっている。(明暗の対比)

第三連はその老嬢がなにを思っているのかを空想しています。若い頃の を回想し、憂いに沈んでいるのか?

第一連の「わかい女王」と第三連の 「西の女王」の対比が見事です。同じ女王でありながら前者は トランプの絵に描かれた若い女王、後者は昼餉時に一人過ごす老嬢。 その対比がいよいよ老嬢のあはれさを際立たせるのです。

北原白秋の詩は初回は「なんだこれは?」って感じですが 何度も繰り返し読みこんでいくと次第にイメージが立ち上がってくる味わいの深さです。

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思ひ出

朗読・解説:左大臣光永