罌粟ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……
やはらかな麦生のなかに、
軟風のゆらゆるそのに。
薄き日の暮るとしもなく、
月しろの顫ふゆめぢを、
縺(もつ)れ入るピアノの吐息
ゆふぐれになぞも泣かるる。
さあれ、またほのかに生れゆく
色あかきなやみのほめき。
やはらかき麦生の靄(もや)に、
軟風のゆらゆる胸に、
罌粟ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……
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若き日の孤独な胸の内に次第に沸いてくる甘い想いです。それを麦畑に咲くヒナゲシに託して
歌っています。
罌粟ひらく
罌粟はヒナゲシの花。心に沸き起こる甘い想いのたとえであることが
後にあきらかにされます。
やはらかな麦生のなかに
「麦生」は麦畑のことです。それが「やわらかい」ということは、まだ
麦がしげっていない、穂が出たばかりの「若い」状態なのでしょう。
青春です。後に「園」=「心」のたとえであることが示されます。
軟風のゆらゆる
柔らかな風がゆらゆら吹いている
薄き日の暮るとしもなく
夕暮れの薄い光が暮れるでもなく暮れないでもなく、
縺(もつ)れ入るピアノの吐息
心の状態をあらわしています。旋律の乱れたピアノの音のように、
そんなふうに心が揺さぶられた。
ゆふぐれになぞも泣かるる
夕暮れにどうして泣けてくるんだろう
さあれ、
「そうはいっても」
またほのかに生れゆく
色あかきなやみのほめき
ここで初めてヒナゲシの花が「悩みのほめき」のたとえであることが
示されます。「ほめき」は「火照り」の意。
軟風のゆらゆる胸に
第二連では「軟風のゆらゆる園に」だったのが「胸に」に言い換えられています。
ここに至り麦畑が胸(心)のたとえだったことが明らかにされます。
「靄(もや)に」を言い間違えてしまいました。後日やり直します。