さすらひの唄
-『生ける屍』の唄より-
行こか、戻ろか、北極光(オーロラ)の下を
露西亜(ロシア)は北国 はてしらず
西は夕燒 東は夜明け
鐘が鳴ります 中空(なかぞら)に
泣くにや明るし、急げば暗し
遠い燈も チラチラと。
とまれ幌馬車、やすめよ黒馬(あお)よ
明日の旅路が、ないぢやなし
燃ゆる思を、荒野(あれの)にさらし
馬は氷の上を踏む
人はつめたし、わが身はいとし
街の酒場は、まだ遠し
わたしや水草、風ふくまゝに
ながれながれて、はてしらず
昼は旅して、夜は夜で踊り
末はいづくで果てるやら
解説
トルストイの「贖罪」を戯曲化した「生ける屍」の中で、ジプシーのマーシャが歌う劇中歌として作詞されました。住まいが定まらず、常に旅を続けているジプシーの哀愁を歌っています。
この「生ける屍」という戯曲は、妻とどうしても離婚しないといけないと思い込んでいるノイローゼっぽい男がジプシーの部落に飛び込んで、そこで純真な少女マーシャと知り合いになる…
この歌に関係した部分はそんな感じです。
松井須磨子がマーシャを演じ、歌も歌いました。
中山晋平作曲。大正六年。
他に、「生ける屍」の劇中歌として、「憎いあん畜生」「こんど生まれたら」があります。
実に旅の愁いがにじんでいる詩です。島崎藤村「千曲川旅情の歌」や、松尾芭蕉『奥の細道』の冒頭部分、「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす」にも通じるものを感じます。
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朗読・解説:左大臣光永