噴水(ふきあげ)のゆるきしたたり。--
霧しぶく苑の奥、夕日の光、
水盤の黄なるさざめき、
なべて、いま
ものあまき嗟嘆(なげかひ)の色。
噴水の病めるしたたり。--
いづこにか病児啼き、ゆめはしたたる。
そこここに接吻(くちつけ)の音。
空は、はた、
暮れかかる夏のわななき。
噴水の甘きしたたり。--
そがもとに痍(きず)つける女神(ぢょじん)の瞳。
はた、赤き眩暈(くるめき)の中(うち)、
冷み入る
銀の節、雲のとどろき。
噴水の暮るるしたたり。--
くわとぞ蒸す日のおびえ、晩夏のさけび、
濡れ黄ばむ憂鬱症(ヒステリイ)のゆめ
青む、あな
しとしとと夢はしたたる。
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「噴水」は北原白秋の詩の詩に何度も登場するイメージです(「謀反」など)。
夕暮れ時、キラキラと輝きながら水をしたたらせる官能的な噴水の姿が
詩人の心を捉えたのでしょうか。
この「噴水の印象」は実景とイメージがたくみに交じり合い、幻想的な
雰囲気を作り出しています。
第一連は状況設定です。公園の奥にある噴水、そのゆるやかな水のしたたり、
水盤(水がたまっている部分)のさざなみに夕日が反射する
甘ったるい嘆きに満ちた雰囲気。
第二連では、その噴水の実景にイメージが混じってきます。
弱々しくしたたる噴水に病的なものを感じているのです(「病めるしたたり」)。
そこから病気の子がどこかで泣いている姿、声を連想します。
噴水の水しぶきは夢のように幻想的で、その水音を「接吻の音」と
聞きます。
晩夏の空に何か落ち着かない動揺を感じています(「暮れかかる夏のわななき」)。
第三連ではやや時間が経過しているようです。「赤き眩暈」と言っているように、
夕日が真っ赤になってきたのです。これは高揚感、性的な渇望を表しているようです。
噴水の水盤のところに女神像が彫刻されているか、あるいは
水のきらめきの中に女神の幻想を見たようです。「傷つける女神」「赤き眩暈」は破瓜の血を連想させます。
「銀の節」は噴水の水音を美しい音楽のように聞いたのでしょう。しかし
そんな中にも雲はとどろいて、嵐の予感?がするのです。
この「雲のとどろき」も第二連の「夏のわななき」と同様、性的な渇望をあらわしているのでしょう。
第四連ではついにその溜まりに溜まった渇望が爆発します。「晩夏のさけび」…
さけびとはまた激しい言葉です。
「濡れ黄ばむ憂鬱症のゆめ」…ああ、なんかもう逝くとこまで逝ってグッタリした感じ。
そして日が落ちて景色が真っ青になり「青む、」
噴水の水は夢のようにしたたり続けるのです。